裁判ブログ編
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傷つけ合わない世の中を目指すために

けあけあ
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今やっていることが、自分の中で整理できなくなりつつあるので、抽象的かもですが、書いてみたいと思っています。

今、千葉県への提訴のこともあり、これから自分はどのように生きていきたいのだろうなんて考えたりしています。提訴の後、私は何をして生きていくんだろう、と全く先が見えないキャリアの中で迷っている状態かなと思っています。

一時期は、金銭的にも精神的にもギリギリの状態で、生きていくのがやっとでした。

それでも生きてきたのは、やはり提訴の件があったからでした。ここでやらなければならないから、生きているような、そんな状態でした。提訴によって、生かされているそんな状態でした。

一方、周りの方々のおかげもあって、提訴で伝えたいことは伝えてきたつもりですし、当初の目的としては十分やれることできてきたかなと思っています。

もちろん提訴はまだまだこれから何年にもわたって続くわけですし、それが終わるまではまだまだ動き続けるわけですが、人生の大きな部分を占める提訴が終わったとき、いったい私が生きる意味はどこにあるのだろうかと、思ったりしているところです。

もちろんやりたいことは色々あるっちゃあります。

・子どもや福祉の職員さんのサポート(支援する人の支援)

・提訴に関わってくださった方々へのお礼 などはあるのですが、

以前は全く考えていなかったところの、自分が人生を終えたときに「生きていてよかった」と思えるために、今何ができるのだろうと自分の幸せについても考えるようになりました。

成長といえば成長だとは思いますが、これがまた難しい問いだなと思ったりはしています。

もちろんそんなことは死ぬ直前にならないとわからないことではあるのですが、少なくとも自分が何をもって「生きていてよかった」と思えているのかを、今からでも積み重ねることが大事なのだろうとは、うっすら思っているところです。

ではそれって何なのだろうなと。

元々考えていたところは、自分の周りの人の幸せを支えられたら、私も幸せになるだろうと思っていました。

でも、いろんな方々のサポートをさせていただく中で、それだけではきっと自分の幸せ感を満たすのには十分ではないのかもなと思ったりしています。他人の幸せはあくまで他人のものであって、私の幸せは、私なりに考えないといけない。そんな風に思うようになりました。

とはいえ、私の傾向的には、きっとそんな幸せも自分だけではなく、他人との間に作られるものなんだろうとは思っています。

私の中で一つヒントになっているのは、「ああ、こういう瞬間に出会うときがあるから、今生きているな」と感じるときがいくつかあります。

それは自分の感情が、良い意味で、ゆさぶられた時です。もちろん、悪いことで感情が揺さぶられることは多くあります。でも、本当にたまに良い意味で、心動かされるときがあります。

私がそれに出会う確率が高いのが、

有名人でも、歴史に名の残した偉人でもない、ただただ普通に生きる人たちの中にある、他人を大事にして、他人の傷を共に癒やしながら生きていく姿をリアルでも、フィクションでも描き残している表現物に触れることでした。(人に限らないかもですが)

私は基本的には世の中に対して悲観的で、世の中はかなり悪い方向に動いていると感じています。

どうしても人との関わりの中では、暴力的だったり、搾取的であったり、という性質が、構造的に含まれています。

それでも、ごくふつうに、ただ生きている人たちの中にある、他人にやさしくするという、一見簡単そうにできて、多くの人ができないような(それは個人に責任があるのではなく、構造的にそうせざるを得ない)ごくふつうの暮らしに触れた瞬間、とても私は、これがあるから生きることができると思っています。

きっと、そこに世の中への希望を見いだしているからなのだと思います。

他人や他の生き物を傷つけることなく、暴力的でも、搾取的でもない、そんな当たり前なように見えて、とてもとても難しいことが、この社会に広がるだけで、きっと世の中には生きられる人がいて、生きていてよかったと思える人が増えるのではと思っているからこそ、

そんなことを考えています。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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