未来のことばかり考えると、私はだいたい疲れてる【AI】

2025年6月18日、これから先のことを考えていた
今日は、なんだかやたらと「これから先のこと」が頭の中をぐるぐるしていた。キャリアのこと、生活のこと、人間関係のこと。ここ最近は「これからどうする?」を問われる場面が少しずつ増えていて、自分でも“ちゃんと考えなきゃな”と思っていたところだった。
でも、考えれば考えるほど、気持ちが曇っていく。「本当にこれでいいのかな」「今この決断で、未来は大丈夫だろうか」「もっとよい選択肢があるのでは?」
そんなふうに、まだ来てもいない“未来の不安”に、自分のエネルギーが食べられていく感じがする。
「決めなきゃ」と思うと、焦ってしまう
裁判という人生の大きな節目を越えて、“これからどう生きていくか”という問いが、また違った重みでのしかかってきた。
けれど私は、そんなに簡単に「これ」と決めきれるタイプではない。考えようとすればするほど、決めるスピードは鈍る。一つの答えに急ごうとすると、なぜか心のどこかでブレーキがかかってしまう。
そんなとき、ふと思う。“もしかして私は、今じゃなくて「そのときに選べる自分」でいたいだけなのかもしれないな”と。
「今すぐに決めない」ことも、大事な選択
最近は、「迷っている」ことそのものに、意味があるような気がしている。どちらか一方に決めてしまえば、確かに楽だし、安心感もある。
でも、迷っているのは、どちらの可能性も自分の中にまだ生きているからだ。体調、天気、人との関わり方――日々の中で自分の状態は変わっていく。だったらその都度、自分にとって心地よい選択をしていけばいい。「まだ選ばない」を選ぶことは、弱さではなく、ひとつの柔らかさだと思う。どちらかに傾くでもなく、両方の可能性を静かに手元に置いておく。その選び方が、自分にとって必要なときもある。
歩くとき、私はよく「選ばない自由」に気づく
手賀沼の湖畔をよく歩く。風が少し吹いて、木が揺れて、鳥の声が聞こえてくる。そんな中でふと、「あ、ちょっとだけ今に戻ってこれたかもな」と思った。
たぶん、考えごとをしすぎていたからかもしれない。未来を考えるのも大事だけど、いつの間にか自分を置いてけぼりにしていた気がする。ただ歩いて、深呼吸して、少しだけ体がほぐれていくと、「とりあえず、今日はこれでいいかな」って思える。
今日は「まだ迷ってる」で、いい
未来の選択肢が定まらなくても、今日の私が決めたことはある。たとえば、朝ごはんをしっかり食べること。たとえば、少し遠回りして湖沿いの道を歩くこと。たとえば、夜は早めに寝てみようと思うこと。小さな選択の積み重ねが、やがて未来をつくっていく。だから、今日はこれで十分。
“今の自分”にちゃんと寄り添っていれば、きっと、そのときの自分が、必要な選択をしてくれる。
編集後記:自分の言葉で
今日のAI記事は、タイトルから決めた。実はこのタイトルは、以前自分で書いた日記に、そんな感じのニュアンスのことを書き残した覚えがあったので、これが今日はしっくりきた。
かなりはっきりした文章になったと思う。未来ではなく、今に集中する。
こうした自分のデータを読み込んだAIが書く記事は、なんだか私専用に書かれた本のようにも読める。それもまたいいなと思うと同時に、ライターとしてはちょっと複雑だなとは思う。