裁判ブログ編
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『はじめての公共訴訟』(集英社)を、公共訴訟の原告が読んでみた

けあけあ
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公共訴訟の原告としての立場から

『はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール』(集英社新書)が、2026年5月15日に刊行された。本書は、日本で初めて公共訴訟の支援に特化したウェブプラットフォームであるCALL4の共同代表らによって執筆されている(集英社のページはこちら)。

私は、CALL4に支援を受けながら、公共訴訟の原告として裁判をしていた経験がある。公共訴訟の原告を経験した私だからこそ、本書の意義を伝えられることがあるのではないかと思い、本記事を書くことにした。

なお、私の訴訟である「子どもと向き合う時間がほしい」児童相談所の労働環境改善訴訟については、以下からご覧いただけると幸いである。

あわせて読みたい
「子どもと向き合う時間がほしい」児童相談所の労働環境改善を!訴訟
「子どもと向き合う時間がほしい」児童相談所の労働環境改善を!訴訟

日常の背景にあった公共訴訟。そのジレンマ。

「はじめに」では、執筆者が仕事場へと向かう途中にある、芝生の公園の風景から始まる。青く透き通った空。深呼吸ができる清涼な空気。甘いキンモクセイの香り。東京でその日常を感じられる背景には、訴訟があったと谷口氏は指摘する。

以下のCALL4のサイトで「はじめに」が公開されているので、詳しくはそちらを読んでいただきたい。

あわせて読みたい
CALL4、【先行公開】集英社新書『はじめての公共訴訟』序文「はじめに」
CALL4、【先行公開】集英社新書『はじめての公共訴訟』序文「はじめに」

公共訴訟は決して人々の生活から縁遠いものではない、ということなのだろう。

日々あたりまえのように過ごしている日常の背景には、訴訟があるかもしれない。自分が裁判をしなくても、ある訴訟が自分の生活に影響していることもある。確かに、公共訴訟は歴史的に人々の生活に密接に関わってきた存在なのだろう。

しかし、公共訴訟が身近であるというのは、なかなか生活の中で実感しにくい。訴訟がもたらした結果が今あたりまえの存在になっているためだ。「私」から始まった訴訟が、「公共」のものへと変化してきた結果とも言える。公共訴訟とは、実は身近な存在であるにも関わらず、「公共」のものへと変化することで、むしろその存在が見えにくくなり、人々が身近に感じにくくなるというジレンマを抱えるものなのだろう。

プロセスとしての公共訴訟

だからこそ、本書には大きな意義がある。「はじめに」には、本書の目的についてこのように述べられている。

読み終えた読者の方々が、より鮮明に公共訴訟というものを理解し、また公共訴訟をより身近なものと感じられるようになることを目指してこの本は書かれた。より近くに感じる人が増えれば、支援・参画する人も増えるだろう。この社会を変える手段の広まりによって、それを使って声をあげてみようとする人も増えていくだろう。よりマシな社会の実現をあきらめない人たちの存在こそが、私たちの希望だ。

8-9頁「はじめに」より引用

読者が公共訴訟を「鮮明」に理解すること、そして公共訴訟をより「身近」なものと感じられるようにすることが本書の目的だ。その身近さが、公共訴訟を応援する人が広がり、さらには公共訴訟をやってみようとする人が増えていくことにつながっていくと、著者は期待する。

では本書では、どのように公共訴訟を「鮮明」に説明し、読者にとって「身近」であると伝えているのだろうか。

「第1章 声をあげる人々、その物語――公共訴訟を知る」では、2つの公共訴訟(「結婚の自由をすべての人に」訴訟(同性婚訴訟)タトゥー裁判)を紹介している。本章には、本書を象徴するような文章がある。

 このように裁判は判決の持つ効力によってだけではなく、そのプロセス自体にもまた大きな力を秘めている。(省略)
 当事者が自身の経験や葛藤を言語化することは簡単ではなく、日常で表立って語られることは非常に少ない。しかし、法廷ではそれが裁判のプロセスとして行われる。当事者は公に向けて言葉を紡ぎ、語ることによって、時に自らの過去を捉え直す。他方、聴いた側もまた、同じ社会に生きる一人の人間として自らを問われる。
 そうして、社会が声を聴くことで、個人の問題は社会化されていく。

34-35頁「第1章 声をあげる人々、その物語」より引用

第1章では、まさに当事者がどのような困難に直面し、心が揺れ、悩み、裁判という手段に至ったのかが、生々しく描かれている。ここで語られている言葉たちは、決して最初からスムーズに出てきたわけではないはずだ。裁判に至るまで、裁判の最中、そしてその後も、何度も何度も、苦しい思いをしながら自らを振り返り、なんとか言葉を紡いで、出てきたものだろう。

苦しみながらも生まれてきた言葉は、受け取る側の心を動かすことがある。応援する人や支援する人となってくれたり、新たな行動につながる人もいる。こうして「私」の声は、「公共」のものへと変化していく。

公共訴訟とは、結果のみならず、プロセスにも大きな意義がある。

公共訴訟を、判決文や勝訴・敗訴という結果だけでなく、その過程のなかで揺れ動いた思い・葛藤も大きな意味があると、理論的かつ体系的に伝えようとした点に、本書の意義があるのではないだろうか。

特に「第2章 公共訴訟は社会をどう変えるか」では、公共訴訟の意義や機能が語られていくのだが、「公共訴訟が提起され、実践されるそのプロセス自体の果たす役割も見逃せない」として91頁以降で詳しくプロセスの機能や役割について説明されている。

詳しい内容についてはぜひ本書を読んでいただきたい。

おわりに―私の公共訴訟を振り返る

機会あれば本書に沿って、私の訴訟を振り返る記事を書いてみたいと思っている。本書は、公共訴訟を実践している人たちの共通言語になるので、公共訴訟をしている人達同士で情報交換をしたり、読書会をしたりする際にも有用だ。

本記事では、公共訴訟の原告としての立場から、本書の問題提起やその意義について、私なりに整理した。公共訴訟にはそのプロセスにも意義がある、というのは私も公共訴訟を経験して、強く実感するところである。

冒頭で、公共訴訟とは、「公共」へと変化することで、「私」の訴訟が見えなくなっていくジレンマを抱えるものであると書いた。私の訴訟も、おそらくこの先数年立てば、そんな訴訟があったことも見えなくなっていくのだと思う。それは、公共訴訟の性質上やむをえないものだと思うし、むしろ訴訟の結果があたりまえとなっていたとしたら、それ以上に嬉しいことはない。

なにより私の訴訟を支えてくださったCALL4は、私の裁判のプロセスを細かく記録してくれている。訴訟記録の多くがアップされたケースページは、今もアーカイブとして参照することができる。特集記事・マンガ・Podcastなど、その当時の私の思いや葛藤をCALL4の方々が取材してくれたものもある。

公共訴訟を支援するということは、公共訴訟をたたかった人たちの生きた証を残しているということでもあると思う。その痕跡が残っているだけで、公共訴訟を終えた人たちが、この先も生きることができると、心強く感じている人もいるはずだ。私もその1人だろう。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
児童相談所、こども電話相談等の経験と専門知識を活かすフリーライター。中央大学法学部卒業後、大学院にて社会学の修士論文を執筆するなど、リサーチやアカデミックライティングのスキルも持つ。『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』(2023年・秀和システム)。
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