遅かった訴訟
心が裂かれる事件が起きました。一時保護所でのことだと思います。なんと言葉にすべきかわかりません。
そして今後多くの一時保護所で、「安全のため」に一時保護所でより一層子どもたちに目を配るようになると思います。私が懸念するのは、より一層「管理」の方向が進むのではないかということです。
私のいた保護所でもトラブルが起きないようにと、トイレは許可制で、かつ職員がトイレの前にいて、場合によっては入口を開けながら様子を見るということが行われていました。子どもたちにとってはとても恥ずかしく思った子もいたと思います。
こうした指導がより進んでいくのではないかと心配します。
一時保護所で起きてしまったことは確かに問題として取り上げられると思います。批判が多く来るかもしれません。
でも、なぜそうしたことが起きたのか、背景を丁寧に解ぐすことが大事だと思います。
批判だけでは、より一層一時保護所の対応が管理的になる可能性を高めるように思えます。
感情的な話ですが、
一時保護所での虐待事件だけでなく、子どもが亡くなる事件もなんとか一つでも起きることなく防ぎたかった。
でも安全を確保する向きによれば、多くの子が不自由な思いをすることがある。でも、自由を確保すれば、トラブルの可能性も否定できない。どうすればいいのかと思った。
予算もない、人もいない・集まらない、研修もない。その中で一時保護所への大きな改変の動きも見られない。
児童福祉法が改正して、ようやく一時保護所の独自基準が設けられると言われるが、何年先かもわからない。
そんな場面を目にして、少しでも自分ができることとして、訴訟をした。
その前から、マスメディアにも報道してもらった。議員さんにも質問してもらった。労働基準監督署にも是正勧告してもらった。勉強会などで直接伝えられる機会もいただいた。
何より当事者の子たちが、一時保護所について、社会的養護について発信する姿を目にして、私も伝えなければと思った。
それは、一時保護所への危機感からだった。このままでは虐待の事件も起こりうるし、目が届かない個別ケアのできない子どもたちがなくなる可能性だってあると。
そんなこと絶対あってはいけないことだと思った。一時保護所で子どもたちと出会ってきて、絶対にそう思った。
でも、起きてしまった。いろんな自治体では性的虐待を含めた虐待事件が起きて、今回のように子どもが保護所で亡くなることも起きてしまった。
遅かったのだと、痛感する。