2023年1月24日 4年前の野田市の事件を振り返って
2019年1月24日、千葉県野田市の小学校4年生の女の子が虐待により亡くなった。各メディアが4年経った千葉県の現状を報じていたのでシェアしつつ、私もその当時を振り返ってみたいなと思っています。
その年の2019年4月に千葉県庁に入庁する私は、その報道を知った時、まともに向き合うことができませんでした。
私は千葉県の柏市出身で、事件のあった野田市に隣接しています。そして、その子を保護し、その対応について多くの批判が集まった柏児童相談所は、まさに私が育った地域の中にありました。
生まれ育った千葉、かつ行くことも多かった野田、そして保護に関わった柏の児童相談所、そしてその対応をした千葉県庁に4月に入庁する私
事件に向き合う際に、あまりにも接点が多く身近すぎる場所でした。
いまだにその時の状況は整理できていませんが
・元々虐待の問題を少しでも取り組めたらと思っていて、ずっと取り組んでいた学生時代
・育った地域で起こってしまった事件
・批判されているのは育った地域にある児童相談所
・その千葉県庁に4月に入る私
といろんな感情と向き合っていたと思います。
各報道で見るたび、調査報告書で詳細を見るたびに、情景を想像するだけで、どれだけその子が辛い思いだったのかを考え、苦しく、それ以上は考えることができなかった。
児相への批判は、私自身へのプレッシャーにもなったし、不安でいっぱいだった。でもなんとかやろうと、思っていて4月が来た。
県庁での出来事は、様々な記事に取り上げていただいた通り。
でも私の中に、ずっとあの事件のことが残っていた。調査報告書を読み、第三者委員の方と会って意見交換して、有志による事件の検証会に参加させてもらっていたりした。
だから、自分が倒れた時には何重にも苦しかった。何もできなかった。
無力でしかなかった、自分をひたすら責めた。もっとできたんじゃないか。もっともっとできたはずのことがあったんじゃないか。
ただただひたすらに責めていた。
私を救ったのは、就職前に色々参加させてもらっていた勉強会で繋がった人たちだった。
一時保護所を経験した人たちや、児童福祉で働く人たち、違う業界で働きながら社会的養護の業界に関わる人たち。その人たちが私の働いている現状に対して、「それはその職場がおかしいよ」と伝え続けてくれた。
だからこそ、「あ、そうなんだ」と自分を責めることを緩めることもできた。
自分を責める以外で自分はできることは何かと考えて、療養休暇中だったけれども、有志で意見交換したり、勉強会をしたりした。
その中でたまたま自分がいた児童相談所の所長に伝えるチャンスがあった。
結局、最終的には叶わなかったのだけれど、でも自分の頭を整理できた。何に違和感を持って、どこを変えたいと思っているのか、何が今必要なのか。
そんな時、人事面談があり、副所長と面談する機会があった。チャンスだと思って、所長に伝えられなかったプレゼン資料で伝えた。
結果は想像通り、何にもならなかった。「これまでの歴史上ずっとそうだからね」と、ただただ受け流されただけだった。
一体、どうしたら今の現状を変えられるのだろうと思った。
そんな時、あるニュースサイトを見ていたら「情報提供のお願い」という欄を見つけた。これだと思った。
新聞やテレビのサイトの中には、情報提供を視聴者から募る欄があるとそこで知った。
私は、匿名で今の現状を伝える電話やメールをした。もちろん反応は良くはなかったし、「だから何?」と冷たく返ってきたこともあった。
そんな中、1ヶ月ほどして、記者さんからメールが入った。
「野田の事件から1年が経ちます。1年経った千葉県の状況を教えてくれませんか」という旨のメールだった。
情報提供した私だったけれど、正直怖かった。私だとバレたらどうなるだろうという不安はあった。
でも、野田市の報道の時に向き合えなかった自分ができることとして、取材を受けることを決めた
その時の記事がこれだった。
https://mainichi.jp/articles/20200122/k00/00m/040/248000c
「いつか虐待しそうで怖い」は、話し合ってそのタイトルにしてもらった。正直、プロとして失格だという意見はわかる。
でも、虐待から守る側の職員が、そう言わざるを得ないくらいの状況だということを伝えたくて、そうしてもらった。
この記者さんは同時に、全国の調査もしてくれた。
https://mainichi.jp/articles/20200123/k00/00m/040/002000c
すると、全国の一時保護所の約4割が、一時保護所職員の専門業務である行動観察の研修をしていないこと、したとしてもわずかなものも多いということがわかった。
私のインタビューはきっかけにすぎないが、これは大きかった
https://mainichi.jp/articles/20200124/k00/00m/040/339000c
これは最終的に当時の厚労相への質問となって、国に届くことになった。
自分でも、いろんな力を借りることで、少しでも一時保護所について取り組めることがあるかもしれないと思えた。
今でも研修体制が整っていない保護所も多いのは残念ではあるけれども。
私の今の裁判のアクションは、こうした経験がもとになっている事は大きい。
あの子が千葉で生きれなかったことは変わらない重い事実としてある。
でも、私が少なくともできるのは、もう二度と千葉で悲惨な事件が起きないように、本当に意味があるのかはわからないけれど、やっていくことしかできない
そんな思いで、今日の日を迎えているところでした。
正直自分がやっていることが、全て最善ではないと思うけれども、できることをやってみたいと思います。
ご覧になっていただき、ありががとうございました。
どうぞ今後とも見守っていただけますと幸いです。