同僚が退職し、異動することになった4月半ば〜〜千葉県・児童相談所職員16日目
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
少なくとも私にとって、子どもの話を集団でかつ生活場面で聴くことってすごく難しい。ざっとなぜ難しいのか挙げると
・子どもの話を聴くことだけに集中できない。ルールや秩序を意識すると、他に意識が向くことで「あー」とか」そうなんだ」で話を止めてしまい、話を広げることに自分でストップをかけてしまう。
・逆に話を広げすぎても、個人情報を他の子にきかれたり、その子の感情が出されたとしても、こっちに受け止めるだけの余裕と時間と空間がない。
・1対1で話せることはほぼなく、複数の子どもが同時に話したり話題があっちこっちいくので、聖徳太子状態になるので能力的に厳しい。
・あと単に疲れて話聞けない。
情けないなぁと思うと同時に、子どもの話を聴くことを諦めて手放せば、もっと自分が楽になるのかなとか思ったりする。
今日はもう一つ。会議があった。
子どもの権利ってなんだっけって思った。
それぞれが言語化はしないけど、「子どものため」と思っている。それは間違いないと思う。悪い人は1人もいない。
でもここで「子どもの権利が」とか言えば、「何言ってるの?」と面倒くさがられることは推測できる。「子どもの権利」を1人では主張するのは非常困難な道が待っている。(それが独りよがりの正義感になることも含めて)。組織やチームで実現させていくものだろう。
子どもの権利ってなんだっけと麻痺してくる。
この空間に慣れてしまえばもっと楽だなと思う。
もう子どもの権利とか意識しないでいいかと思ったりする。
私はここで何を学んでいるのだろう。
何が染み込んできているだろう。
情けない。