裁判ブログ編
PR

【10月12日期日における意見陳述書】

けあけあ
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

ゆっくり休もうと思いましたが、これだけ共有しようと思いシェアします。

本日の千葉県庁への第1回期日裁判で、

15分ほど私が意見陳述した際の文章です。

拙いものですが、参考までに。

CALL4のサイトにも弁護団の陳述も含めて、

誰でもご覧になれますので、もしよかったらご覧いただけますと幸いです。

https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000105

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2022年10月12日 意見陳述書

0 導入

 原告の飯島章太と申します。意見陳述の機会をいただき、ありがとうございます。私のほうからは、今回の裁判への思いとして3点、私がなぜ児童相談所の職員を目指すようになったのかという経緯、そしてそこで目の当たりにした一時保護所での現実、そして裁判を通じてどのようなことを実現したいのか、についてお話ししたいと思います。

1 児童相談所の職員を目指すきっかけ

1−1父親との関係

 根本的な動機に、私の父親との関係が大きくあります。幼少期から父親との関係は険悪な状態でした。無視や怒鳴り声、物に当たって壊れる音なども珍しくありませんでした。私にとって、自宅は安心できる場所でなく、父親が帰る前に自部屋に避難し、父親が就寝したときにようやく風呂に入ったり、ご飯を食べたりすることができるような家庭でした。私が17歳のころ東日本大震災が起こりましたが、その時には父親がいるリビングに避難をしましたが、その時にも「なんでお前ここに居るんだよ」と怒られ、それが私にとって大きなショックでした。そうした経験から、自分のような状況にいる子どもたちのつらく悲しい思いを少しでも減らせたらという思いを持ち続けていました。

1−2子どもの電話相談ボランティア

 そこで弁護士になって、弱い立場にある人たちを守れる力をつけたいと思っていたため、大学は中央大学の法律学部の法律学科に進学しました。進学した年の夏、自分がつらい思いを経験した東日本大震災のボランティアへ行ったことをきっかけに、自分ができるボランティアを考えた結果、子どもの気持ちや声をきくことで、少しでも子どもたちのつらい悲しい気持ちを和らげたいと、子どもの電話相談のボランティアに関わり始めました。

 ボランティアでは、子どもたちの声をひたすらに聴くこと、その中で自分の中に沸き起こる気持ちに気づくこと、それを子どもたちとのやり取りの中で対話し続けること、などを学んできました。同時に子どもに関わる相談員自身が、燃え尽きたり、傷ついたり、やめていく現実も目の当たりにしました。子ども電話相談員が孤独であり、だからこそ子どもに関わる人たちのケアや支え合いの場所が必要になることを研究するために、大学院修了まで6年間研究し続けました。

 いつしかそこで出会った方々のように、子どもに関わり、話をきいて、支えになれるような仕事をしたいと思うようになり、児童の相談を受ける場所である児童相談所への、地元の千葉県で就職したいと思うようになり、内定をもらうことになりました。児童相談所への勤務にむけて、合格発表のあとから、ほとんど毎日子ども・福祉関係の勉強会やイベントに出て、議事録や文字起こしを書き残して学んで、入庁までの日を待っていました。

2 一時保護所での現実

2−1入庁前の話

 違和感は入庁前からありました。9月下旬に内定面接後、翌年4月の入庁日までの半年間の間、特に千葉県からの連絡はありませんでした。配属先はもちろん、仕事内容についてや交代制の変則勤務であること、夜間勤務があることなどは、4月1日の配属先で初めて知りました。そして2019年1月24日以降、千葉県野田市における虐待死亡の事件が大きく報道され、千葉県の児童相談所における対応がかなりの非難を浴びる姿を私自身みてきました。自分自身の処遇についてわからない状態で、かつ世間からのプレッシャーもある中で、不安いっぱいで入庁日を迎えました。

2−2 入庁後初日のこと

 配属先についてまず一時保護課長から話をされたのは「明日から通常勤務ですが、明日から夜勤いけるよね?」という相談でした。具体的な仕事内容についても説明がなく、どういった勤務体制で行われるのかも説明がないままでの相談でした。そして「休憩時間は、昼休みは子どもとごはんを食べているから無いけれど、16時以降記録を書く時間があって座っているから、それが休みの代わりになっています」と説明されました。この時点で働く場が過酷であることの予感を持っていました。

2−3 OJTのこと、研修のこと

 入庁翌日から通常勤務を始めていましたが、特に誰かが何かを教えてくれるわけではありませんでした。基本的には他の先輩職員が働くのを見よう見まねで仕事のやり方を学んでいました。そして「一回みたからもうできるよね」「一回みたら自分でできるようにして」という教えのもとで、必死に働いていました。子どもたちの、一時保護所を退所した後についての処遇の意見を書く大事な書類についても、「過去のものがあるから見て書いてください」と研修もないまま、書いていました。

 研修については、マナーや行政文書の書き方などの研修は行政職員同様のものはありましたが、一時保護所の勤務に必要な研修(記録の書き方や子どもたちの背景を知るための知識など)はほとんど行われておりませんでした。一時保護所職員向け研修自体は少しあったそうですが、「人が足りないから行かせられない」と言われていました。入庁後の健康診断も、後回しになるほどの人の不足でした。

2−4 実際の忙しさ

 勤務の忙しさも想像を超えるものばかりでした。話の通り、休憩時間はなく、トイレに行く暇もなく、トイレにいけば「今トイレに行っている時間じゃないでしょ」と怒られていました。定時の時間帯は、子どもたちとの時間で全て占められているので、書類仕事や教材準備、教材の丸つけなどの事務作業は残業もしくは持ち帰り仕事で補っていました。新入職員は書類の書き方も教わっておらず、見よう見まねでやっていたこともあったので、大体残業が3時間〜4時間ほど毎日あったように思います。また残業時間代の申請についてさえ教わらなかったため、それを新入職員みんなが知ることができたのは4月下旬ごろでした。

 そして夜間勤務がかなり辛かったです。定時でも午後12時半から翌朝10時までと拘束時間が長く、途中仮眠時間はありますが、残業が多いためきちんと寝れる職員はいなかったです。また仮眠時間といっても仮眠室はなく、子どもたちと一緒に居室で寝るか、もしくは子どもたちのいる居室の前の廊下で布団を敷いて寝ることになっていました。もちろん子どもたちの様子を常に感じておく必要があり、トイレに出ていれば起きなくてはならず、緊急一時保護などの対応で起きなければいけないことになっていました。

2−5 一時保護所における子どもたちの「指導」「管理」

 そして私がつらかったことは、子どもたちに管理的なルールを守らせ、厳しい指導をすることを、職員としてやらなくてはいけないことでした。それを象徴しているのが、一時保護所における無数とも思えるようなルールの存在でした。例えば、子どもたちが朝食時サラダにドレッシングとマヨネーズ両方かけていると、職員から「何やってるんだ。どっちか一つだろ」と怒鳴られていたこともありました。また、豚の脂身が苦手な子が昼食後1時間ほど残らされて泣きながら食べさせられて、結局食べれなかったことを厨房の人に謝らせていたこともありました。入所していた子が茶髪であれば黒染めにさせていたり、ティッシュをとったりトイレにいくことも、「先生ティッシュください」「トイレいきます」と申告させていたりすることは日常でした。さらに「個別指導」といって、トラブルがあった子を実質的に個室や居室から出れないように(個室から出ている姿を見ると「部屋に戻って」と職員が指導するなど)したりするなどの、ルール・指導がありました。ルールや指導の基準については、職員の中でも全部把握している職員はいませんでした。暗黙のルールは数多くあり、職員の感覚によって「それはやっちゃいけない」などを制限する場合もありました。

 そして、上司からは「あまり子どもの言うことを聞いちゃうと、色々要求してくるから、流すことも必要」「子どもの話を聞いちゃうと、仕事が進まなくなっちゃうから、きいてちゃだめ。流して」「なんでも子どもの言うことを聞いちゃだめ。子どもが調子にのって何でも頼むから」という指導もありました。私にとっては「話を聴く」ことが、子どものケアのまず大事な一歩だと感じていたため、それすら難しい状況であったことがとてもつらかったです。ましてや自分がケアではなく「管理」をする側になっていたこと、あまりにも忙しかったところから「自分がいつか虐待をするのではないか」というおそれを抱くくらい追い詰められていたことに、すごく葛藤を感じていました。その結果、入庁して4ヶ月経たないほどで療養休暇をとり、一度復職したものの、さらに再び休職をして、そのまま退職することになりました。

3 裁判を通じて実現したいこと

3−1 訴訟までのアクション

 休職のときから「このままの一時保護所の状況ではいけないし、何かアクションを起こさないといけない」と感じていました。そのために、課長や副所長、そして県庁の人事委員会や総務課に伝えてきました。ですが「これまで休憩時間はなかったし、これまでの長い歴史の中でもなかったから、あなただけに休憩時間を与えることはできない」と課長や副所長からは言われ、県庁からも「現場の対応が優先されるので、具体的な改善は現場に任されている」という回答しかもらうことはできませんでした。

 千葉県内部での回答は難しいということがわかり、その後は大手マスメディアへ情報提供をして取材を受け、記事掲載や報道にもしていただきました。また厚労省の担当の方に窮状を伝え、意見交換の機会をいただいたりもしてきました。また県議会議員、国会議員に伝える機会もいただき、さまざま質問もしていただきました。そして最終的には、労働基準監督署にも申告をして、職場への是正勧告まで行っていただくことができました。

 千葉県は休憩時間を取れないことや未払い賃金については認めましたが、「他の職員については支払いを検討していません」という回答でした。

3−2 裁判を通じて実現したいこと

 裁判の性質上、金銭の請求が訴状には書かれています。ですが根本の目的は、一時保護所そして児童相談所の労働環境を、少なくとも法律の最低基準を守ることによって職員を守り、、児童相談所につながっている子どもたちのよりよいケアにつなげていくことです。

 私は一時保護所はとても大事な場所だと思っております。虐待や非行などを理由として一時保護された子どもたちが、生活をともにする大人がいるのが一時保護所です。その大人が信頼できれば、今後の生活にとっても、「信頼できる大人が社会にはいる」という思いを持てることにつながるでしょう。ですが、逆に信頼できない大人がいる、傷つけられた場所が一時保護所であるとするならば、「児童相談所は信頼できない」「児童相談所ですら信頼できないのだから、大人も社会も信頼できない」という思いにつながることは自然だと思います。

 子どもたちの少なくない数、一時保護所は「刑務所のようだ」といいます。日記に書いてくれる子も、直接伝えてくれる子もいました。そして何も起こせなかった私が、少しでもできることとして今回訴訟を提起しました。今回の訴訟を通じて、一時保護所を知ってもらい、その中で千葉県、そして国の一時保護所への改善のうごきが加速することを願っています。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
記事URLをコピーしました