裁判ブログ編
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「誰かが死なないと変わらない社会」で生きる 事件から5年

けあけあ
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この時期になると、複雑な思いになる。

2019年1月24日。私が事件について報道で知ったのは、確か少し後のこと。2019年4月に千葉県に入庁し、児童相談所への勤務をする私にとっては、大きな衝撃だった。まさに身近な場所でそれは起こっていた。

2020年1月、毎日新聞で私を取材してくれた記事が匿名で公開された。その記事は1月24日、当時の厚生労働大臣への質問になったという報道を知る。その後もこの時期、2021年(朝日・読売)・2022年(朝日・NHK)・2023年(東京)と記事にしていただいた。

事件から5年が経った。
今日の新聞では、朝日・千葉日報・毎日が、特に一時保護所や千葉児相のこと、そして当時の事件のことを紙面にて取り上げている。千葉児相も、一時保護所も、難しさを抱えながら、変わりつつあるらしい。

きっと私は、取材して記事にしていただいたことに、当時大きく救われていた。自分の発信が何か役に立てるのだと思えた。きっとだからこそ、今回千葉県への提訴へもつながっていると思う。

でも本来、言葉にするのは難しいのだけれど、私が取材される機会なんてこなかった方がよかったのだろうと思う。あの子が生きていることのほうが何より大事だったはずで。

誰かが言っていた。「この社会は誰かが死なないと変わらない社会だ」。

結局、あの子の生命を救えなかったことには変わらない。いくら児相が変わっても、世の中が良くなっても、「誰かが死なないと変わらない社会」であることは、結局変わらなかった。

事件から5年という節目なんて、結局生きている私たちの都合でしかない。

そんな業を抱えながら、「誰かが死なないと変わらない社会」を

「誰かが死ぬ前に変わる社会」にしないといけない。

そうじゃないと、きっとあの子が報われない。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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