助けが必要な人は、誰かを助けてはいけないのだろうかー「支援する/される」関係性への雑考
雑考を一つ。
よく言われることとして、
「あなたは誰かを助けようとするけれど、むしろあなたの方が助けが必要じゃないですか?」ということがある。
確かにそれは一理ある。
私にとっても誰かの助けは必要な状態であることは事実だからだ。
ただ、むしろ
助けが必要だからこそ、誰かを助けることで、自らを助けている面があることも事実だ。
さて、先ほどの言葉の中をより考察すると、
その先に続く言葉として
「誰かを助ける前に、まず自分を助けることに集中した方がいいのではないですか」
という含意があるのではないだろうか。
それも確かに一理あるだろう。
ただ、ここに潜む固定観念は、
「助ける者と助けられる者は分けて考えられるべき」
という考えだろう。
私はそうではないと言いたいのだ。
「助けられる者は実は助けている人を助けており、
助けている者は実は助けられている者に助けられている面がある」
これは対人的な仕事をしている人の多くに
伝わることもあるだろう。
いわゆる支援する/支援される者と二項対立ではなく、
それが行き来し、支援されることもあれば、支援することもあるという
流動的な関係がそこにはある。
と、再度先ほどの発言に戻ってみると、
実はこうした考えは「支援者」の間でも起きているのではないかと仮説立てられるように思う。
つまり、「支援者」は「支援者」でなければならず、
支援される存在であってはいけないのだ、
という固定観念があるのではないかということだ。
支援する者は、支援されてはならず、
支援する側に居続けなくてはならない、
と言い換えられるかもしれない。
それでも、「支援者」は感じざるを得ないだろう。
「支援する/される」という関係性は、
どちらにも流動的に入れ替わるものだと。
「支援者」はそこでジレンマを感じるのだ。
リアルとしては入れ替わりのある関係性が存在したとしても、
「支援者」間では「支援者」で居続けなくてはならない観念に縛られ、
その観念自体に「支援者」としての苦しさを感じるのだろう。
「支援者支援」の難しさはこうした固定観念によるジレンマが一つあるように思う。
さて、そこからどう解放していくかが課題なのだろう。