カラオケできる場所もある
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
沖縄の言葉では「悲しい」という言葉ではなく、
他人の悲しみを自分の悲しみのように感じるという「ちむぐりさ」という言葉で悲しみが表現される。
15歳の少女が沖縄のフリースクールに通う中で出会う、「戦争が沖縄では続いていく」という現実を目の当たりにし、それを新聞記事として描き続ける中で、自ら葛藤し、悩み、学び得て行動していくドキュメンタリーだった。
私はこの映画を見て、
この映画見ている自分の加害性について考えた。
こうして自分にとって安全な場所から、
基地という危険そして危機とともに暮らす沖縄の現状を考えることには、どれほどの意味があるのだろうか。
映画での主人公坂本菜の花さんは、ガンジーの言葉を引用しながらも、優しくこう語りかける。「今やっていることのほとんどは無意味だ。その行動では社会が変わらない代わりに、自分が変わらないためにその行動をしている」と。
沖縄のことを考え続けるというと、
月並みなことかもしれない。
今の社会には考えるべきこと・行動すべきことが多すぎる。
特に優先順位をつけたわけでもなく、いつのまにか意識の端に追いやられてしまう。
それでもこの映画があり続けることで、
沖縄のことを考える錨が下された気がする。
その錨は、自身が自ら行動を起こした坂本さんらによって落とされた。
私もその錨に頼るだけでなく、自らでその錨を作り立ち戻れる人となりたい。