埼玉県横瀬町へお引越し
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
歴史的にも貴重な映画だと思う。
「家族」なるものを考える上では重要な作品だと感じた。
1990年代に行われた共同保育の取り組みについての記録だけでなく、
加納土監督のセルフヒストリーというだけでなく、
共同保育に「たまたま」集まった人たちそれぞれの視点からみる、「家族」のようなそうでないような、そんなカテゴリーでは説明できない作品だった。
「家族」なるものを考える際には、
家族?と疑問符がつくようなところから考えることによって、より考えが深まることに気付かされた。
私の理解では、この映画のキーワードの一つに、
「たまたま」という偶然性があると思った。
たまたまこの世に、
親を選んで生まれたわけではない子どもが生まれ、
そこでたまたま出会った人たちが子育てをしていく。
偶然の出会いではあるのだけれど、
そこでは1人1人が関係性を作り(親子も含めて)、瞬間的な居心地の良い空間が生まれた。
私はこの映画をみて素直に羨ましかった。
映画のような関係性が生まれる場所が確かにあったということ。
そんな場所もまた偶然に生まれた。
人はそんな偶然の中で誰かと出会い、
関係性を作りながら生きていくのだろう。
その関係性がいつか空間を生み出して、
人をまた育てていくのだろう。