パンにジャムとマーガリンの両方つけられない?~ある一時保護所のルール~
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
一律禁止という考え、つまり管理志向という考えはどこに由来するのだろう。
一律禁止のメリットは、
・ある意味すべての人に平等
・罰を設けることによってより強制力を設けることができる
一方でそのデメリットを具体的な個人に焦点を当てると
・禁止される人の具体的な状況を無視する。
・禁止を実施する人もまた人格が無くなる。
等だろうか。
一律禁止という考え方で古くからあるものといれば、
刑法とか憲法だろうか…?
こうした自由の制限という意味でのルールは、昔はローカルなものが行き過ぎたところから、国の基準として慎重に整備されたものなはずである。
しかし、このローカルなルールが、いつの間にか国のルール、国際的なルールよりも優先されて、独自に設けられてしまい、より強固な強制力を持つことがある。
それは一見くだらないものから、重要性を持つものまでさまざまである。
・サラダにマヨネーズとドレッシングを両方かけてはいけない
・うつ病患者にはコーヒーを飲ませてはいけない
・外出自粛
これはルールという形を設けることもあれば、
世間の目という「自発的」かつ「強制的」な意見として監視されることもあれば、
「専門家」という根拠をもった意見として形成されることもある。
本来、自由を制限する「ルール」「監視」「管理」は最小限度であるべきだろう。個人の自由を制限するためだ。それでもなぜ、こうしたものが蔓延し、かつさらに求められていくのだろうか。こうした社会はいったい何を意味するのだろう。
そしてこうしたルールの歪みによって、被害を受けている人はだれだろうか。
こうしたルールの歪みとうまく付き合うためには、個人はどんな実践が必要なのだろうか。
あー、ちょっとわけわからなくなってきたのでここまで。