傷口に花が咲く社会に
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
私が今日柏から仙台まで乗っている常磐線は、元々は石炭を運ぶための重要な線路だった。常磐炭田から産出され石炭は、国内経済発展には欠かせなかった。1973年には石炭を運ぶという役割を終えた常磐線だが、関東そして東北の人たちの重要な交通機関であり続けていた。
2011年東日本大震災が発生し、甚大なダメージを受けた常磐線は、一部区間運行が出来なくなった。そこから9年が経ち、2020年3月14日には再び全線が開通した。
特急からは外の景色がよく見える。そして、未だに東日本大震災の爪痕が遺されている場所も少なくない。屋根の瓦が全くなくなっていたり、1階・2階部分が無くなり屋根だけ遺されている家など、震災から12年以上が経った今も、その跡が遺されている地域がある。
景色を見ると、色々考えることがある。この12年、何が変わっただろうか。