助けが必要な人は、誰かを助けてはいけないのだろうかー「支援する/される」関係性への雑考
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
書く仕事「だけ」をしたい
のではないかもだけれど、
書く仕事「も」したい
これまで色んな人や場所と出会ってきた。
・震災ボランティアで、いろんなものを抱えながら活動している人、そこで出会った仙台の人たちと想い
・子ども福祉のボランティアで、何もわからなかった私に、生きることを教えてくれた人たち、そして子どもたち。
・フィールドワークの中で、色んな悩みや葛藤、そしてその中で少しでも伝えてくれる稀有な希望を持つ人たち。
・児童福祉の中で、いろんなバックボーンをもちながら活動し、働いている人たち
・地域の中で誇りを持ちつつ、地域構造のなかでもがき、奮闘し、人々同士を繋げる人たち
そんな人や場所を書き残したいと思った。
少しでもこの人や場所が存在していたのだと書き伝える仕事がしたいと感じた。
全員が全員歴史上の人物としては残っていかないかもしれない。
きっと歴史上にもそうした人たちは無数にいたはず。
でもその無名の人たちが語り継いできたからこそ、存在する今があるはず。
命はいつか自然に還るけれど、その人たちの想いや言葉は将来残せることもあると思う。
色んな活動をする中で、そんなことを考えた。
私自身が、誰かに書き残される経験があった。
その書いてくれたものが、自分の伝えたかったことを残してくれた。それが意外と嬉しかった。
そんな存在に私はなってみたいなと思う。
これも私にとっては「支援者の支援」なのではないかなと感じる。
とはいえ、どうやったらそれができるのかはまだまだ未知数だけれど・・・。
色んな人に話をきけたらいいなあ。