職場に違和感をもたなくなっていく自分がいた〜千葉県児童相談所職員1ヶ月と9日目〜
1 さらに忙しくなった5月
シリーズ「なぜ元職場の千葉県・児童相談所に裁判を起こしたのか」の職員時代の勤務編。
前回は、勤務1ヶ月目を振り返って、本や漫画が助けになってくれたことを記事にしました。
勤務2ヶ月目から数日経ち、本格的に業務が忙しくなってきました。
2 休憩なしの通常勤務、残業で翌日勤務準備、急な重要書類作成(OJTなし)
「21:15 退勤。残業4時間。誰だ、この仕事に残業はないんだから、もっと時間外労働したらと提案した人は・・・
さて、愚痴です。(定時外の時間に)大事な資料になる会議資料を来週までに作ってねって言われて、実際には今日明日しか出勤無いから、そこで作るざるをえず。しかも他にもまだ事務作業が残っていて・・・。説明も先輩から少々、課長から5分くらいされたあとは「過去の資料見て」という感じで。私はまだこういうことに興味あるから、比較的興味持ってやりました。が、もしほかの人がこれされたらと思うと・・・。
こういう大事な資料の説明は、(定時勤務時間内に)事前に説明とか難しかったら簡単なマニュアルでもあれば良いんですが・・・きっとそれくらい人がいないわけですね・・・」(5月9日日記)
5月に入ると、残業が多くなってきました。
休憩時間とされている時間も働き、夜間勤務のうち仮眠時間(午前1時〜午前5時半)とされた時間も実質働いていました。千葉県が定めていた月の残業時間の目安上限の45時間は余裕で超えていました。ときには休日も、翌日のレクリエーションに備えるため、買い出しをして職場に向かい、準備をする必要もありました(残業にはカウントされていません)。
通常勤務の8時半〜17時でさえ、業務でぱんぱんです。その9割が子どもたちとの時間です。慌ただしい中で定時をすぎます。休憩もなくノンストップで働き続けるため、より一層疲労感でいっぱいです。そこから残業が始まります。
残業は、翌日子どもたちに授業をする場合には、準備をするなどします。行事やイベントなどがあればその準備をします。また会議資料などを作るときにも残業をします。特に5月中旬から子どもたちの数が定員の倍を超えることが常態化していたので、子どもたちの記録もその分増えてきました。
残業は予想外に増えることもあります。例えばこの日記に書かれているように、上司から当日急に重要な資料の作成を指示されることもあります。
この資料は、子どもたちの今後に関わるとても重要なものです。5月に入って、初めてこの資料の作成を任されましたが、課長から5分ほどこんな感じで作ればいいと伝えられ、あとは「過去の資料をみて」と言われただけでした。
私がその資料を作るのに使える時間は、勤務上その日の残業時間と翌日しかありませんでした。結局その日は、誰から教えられるわけでもなく、過去の資料をひたすらみて、資料を作成していたので、4時間ほど残業しました。翌日もまた作り、なんとか完成させましたが、そのような不定期な残業も、急にありました。
3 違和感を持たないようになってきた
こうした業務量をこなすうちに、私自身も最初は一時保護所の文化やルールに違和感を持っていたものの、次第に疑問を持たなくなっていきます。
忘れないうちにもう一つ。
うちの職場にはルールが多い。なんでこんな細かいところまでと思うところもある。先輩によれば、「ルールには全部理由があるから、自分で理由説明できるように考えたり、疑問に思ったら聞いて」とのこと。こういうことを言ってくれる先輩がいてくれるのは本当にありがたい。この職場で良かったなとも思う。
ただ正直、ルールの理由を聞いても、いまいち納得できないものもある。まだ組織としてきちんとしていれば、「この組織が決めることだから信用できる」とも思える。
でも、新人の扱いにしわ寄せがいく中で、そんな組織を十分信頼できるはずもなく。正直、色々なルールには疑問だらけだ。だから理由を色んな先輩に尋ねてみようとも思う。一方で疑問に思うことも大事にしていきたい。
正直納得しないままルールに染まっていく自分も感じている。
疑問に思えるのも今のうちなのかもしれない。
(5月9日日記)
ルールについては、以下の記事で書きました。
勤務をはじめて1週間しないうちに、ルールについて疑問を持っていましたが、その疑問さえ持つことが減ってきたように感じていました。
もちろん先輩職員からそのルールの背景・理由について聞くことで解消された部分もありましたが、それを聞いても納得できない部分もありました。ルールは信頼できる人や機関が作るからこそ、信頼できるものですので、すでに千葉県庁の一時保護所の環境や職員の育成環境に疑問を感じていたので、そこが作るルールも信用はできなくなっていました。
でも、次第に違和感を持たなくなっていきました。
違和感が多すぎたのです。違和感を持ちながら仕事をすることは非常にストレスを高めます。また違和感を持ちながら仕事をするほどの余裕は物理的にも精神的にもありません。違和感を持つことができるほどの状態では、自分自身がなくなっていきました。
業務をこなすうちに、自分自身の感覚が麻痺していったのです。
4 おわりに
この記事では、仕事が増えるにつれて、自分自身が一時保護所の環境に違和感をもたなくなっていたことについて、記事にしました。
私は一時保護所で勤務する怖さは、ここにあると思っていました。自分自身の感覚が信じられなくなっていくのです。それを本格的に実感していくのが5月のこの時期からでした。
読んでいる方のなかには、子どもに関わる仕事についている方もいらっしゃるかと思います。どうか自分の職場への違和感をもったときには、それを感じた自分自身のことを信じてください。その違和感を持ち続けることが、きっと大事になってきます。その違和感を持つことすら難しくなってきたときには、それはすごく危険なサインだと、私は実感しています。
ちなみに、この時期私が思い出した本は、E・ゴッフマンの『アサイラム』でした。
ゴッフマンの微視社会学の金字塔。精神病院等のいわゆる「施設」での参与観察をもとに、一般社会と隔絶された空間の中で繰り広げられる社会的相互作用を、個人間、医師・職員と患者間等の個人に焦点を当てて論考した。社会や大組織の中の小さな人間関係、そこで生き抜くための処世術を駆使する様子を丁寧に拾い上げた内容は、施設の在り方について多くの示唆を与えてくれる。