休職へ〜千葉県児童相談所職員4ヶ月目終わり〜
1 仮眠がとれない夜勤が続いた
シリーズ「なぜ元職場の千葉県・児童相談所に裁判を起こしたのか」の職員時代勤務編の最後の記事です。
前回は、不眠状態のなかで突然求められた27時間勤務について記事にしました。
この勤務の影響が続く中、仮眠さえ取れない夜勤が続きました。
そして休職前最後の勤務となった夜勤の日。結局この日も仮眠時間が取れませんでした。そんな仮眠時間中、私は次のような日記を書きました。
2 休職前、最後の夜勤中に書いた日記
仮眠さえ取れない状況、どうにかならないものですかね・・・仮眠の時間があっても、残ってる仕事は多くて、それをせざるを得ないから、結果1、2時間しか寝れないという。
はい、もうちょいやって仮眠します。あ、仮眠する布団も足りてない。掛け布団だけ余ってるから、それ敷いて寝るしかないか。
この仕事、真面目にしてたら自分が潰れる仕事だと思う。ある程度手を抜くことが、生き延びる術。あとはよっぽどタフな人だけが残る世界。私の場合は前者でしか生き残れない気がしてならない。
ダメだ。もう逆に冴えて寝れない。色々考える。
元々「相談所」みたいなところで働いてみたいと思ってた。人の話を聴くことが好きだったから。
でもいざ働いてみれば、身につけていくのは話をいかに聞いたふりをして、受け流すこと。話を一人一人聴いていたら、仕事が回らないことはわかる。
でも、当初想定していたものとは異なる、そういう力をつけていく自分がとても虚しい。無力でしかない。これが現実と思って受け入れるしかない。
今日は一睡も無理だ。夜勤っていうけど、実は労働時間的には3日連続働き続けてるようなもんなんだよなぁ・・・これが月5-6回あるとすれば、すでに15-18日働いてるようなもので。
絶対おかしいよ、こんな勤務のあり方。しかも職員もいないから、2倍働かないといけない。特に仕事の研修もない。OJTも全くない。
どんな試練よ、これ。
新人には過酷すぎないか。
そりゃ辞めるって。
はい、ゴタゴタ考えてるうちに仮眠時間終了だ。
あと4時間なんとかがんばろ。
(7月24日日記)
日記の通りでした。この日記を書いた、翌々日も勤務がありましたが、無理でした。
今日は結局休んでしまった。
身体を起こすこともできない。
吐き気もあり、頭も重い。
これは結構重症な予感。
(7月26日日記)
この次の勤務には夜勤が待っていました。でも行ける気がしませんでした。
多分これやっちゃったな・・・
明日も多分無理だ。この先も正直どうなるかわからない。
今後としては
①休み休みしながら続ける
②休職してリフレッシュしてから復帰
③転職するこんな見通しかな・・・
この4か月結局何も出来なかったなぁ・・・
情け無いわ。
ただただ悔しい。
結局素人が入る領域ではなかったのだと思う。無謀だった。
ある程度即戦力の人でないとやっていけない。
敗北感でいっぱいだ。
(7月27日日記)
1度は行こうとしました。
ひとまず明日は出勤予定です。
(夜勤を一人にするわけにいかないのもありますが)
明日出勤してみて、また色々考えるつもりです。
そういう意味でも良い機会なのではないかなと思います。
(7月27日日記)
でも当日職場の最寄りの駅前まで行ったあと、「無理だと」思いました。
無理でした。
最寄り駅までは辿り着きましたが、
来る途中から身体も重く、吐き気が出て、
あと少しが遠かったです。
休みの電話をすると、
やはり懸念事は夜勤者が減ることとのこと。
結局課長に連絡して、調整してもらいました。
(7月28日日記)
課長におやすみの連絡を入れた時、課長はまず「代わりの人を見つけてください」と言いました。私の身体の心配をする前にです。私は本当にただの駒なんだと思いました。
結局、他の人に頼んで調整してもらい、その日なんとか休むことができました。
ここから私は半年間おやすみすることになりました。
3 終わりに
これで、職員時代勤務編は終わりです。
休職に入り、しばらくお休みしていた私ですが、次第にこのまま休職から戻っても、労働環境が変わらなければ、同じことを繰り返すだけだと、職場にむけていろいろ行動することになります。
この辺はまた次回以降書きたいと思います。
まずは勤務編、ご覧いただき、ありがとうございました。