私の日記
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読書メモ 支援者の権利擁護の実践と複数の支援者に開かれる支援の重要性

けあけあ
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つまりヤングケアラーが抱える困難は、プロの対人援助職が陥るかもしれない困難を強調して見せてくれているのではないだろうか。

(村上 2022:p13)

本論文は、支援者支援という観点からみたときに、ヤングケアラーが直面する課題が、対人援助職で起こり得ていることに問題意識を抱いている。

とりわけタイトルにあるように、ヤングケアラーにせよ、支援職にせよ、「孤立」が問題として大きく立ちはだかっていると読める。

村上(2022)では、丁寧なインタビューでの分析をもとに、ヤングケアラーへの支援がどのようにして有用なのか、そして応用するように支援職への支援はどのようなことが有用なのか、述べられている。

  Cさんに限らず、私が話を聴いたヤングケアラー経験者はみな、誰かが「私サイドに立ってくれた」ときに、次の一歩を踏み出していた。「私サイド」とは単に共感の問題ではない。彼らはみな衣食住のサポートを受け、意思決定を尊重されている。(省略)。つまり「私サイド」とは権利を擁護する実践のことでもある。

(村上 2022: p17)

ここには、支援者支援にとって重要な解釈があるように思う。

支援者を支援するというのは、単に共感するだけではないのだろう。

生きるために必要な基本的な生活が保障された上で、

その人の意思決定が尊重されること。

その尊重というのは、単に話を聞くだけでなく、

時には権威者に抗議したり、具体的に法的に権利を実現することを指している。

このようなかかわりは心理臨床の教育では避けられてきたものかもしれないが、大きな示唆を与えてくれる。自分の立場が危うくなるような困難を抱えているケアラーにとって、話をシェアし「すっきり」して「ヒントが得られる」だけでは意味がない。ピアグループでの語りのシェアが万能なわけではない。現場に対して共にコミットして支えてくれる人がいること、その意味でチームを作ること、これは大きな要素だ。

(村上 2022: p17)

カウンセリングなどの世界では、おそらく「境界」問題の関係から難しいこともあるかもしれないが、

支援職の場合には、必ずしも「すっきり」したり、「ヒントが得られる」わけではないが、それでも、共に「コミット」して支える人の存在が重要なのではないかという示唆が指摘されている。

その後、村上はケアラーと支援者が共依存に陥らないために、複数の支援者のチームに開かれる重要性を指摘しているが、具体的には以下のようにまとめられている。

ケアラーには孤立(巻き込み・放置・SOSの不可能性)のリスクがある。これに対抗し、孤立を打開する「私サイド」に立ってコミットする支援者、複数の人によるサポート(支援であり、支援者であり)、サポートの継続性といった、おそらくどのような支援者支援のサービスを作るとしても最低限の条件となるであろうことがらが浮かび上がってくる。

(村上 2022: p18)

支援者支援するうえでは、支援者も支援者の支援者も孤立する可能性がある。だからこそ、複数の人に開かれた継続的な支援が必要ということだろう。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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