震災を見つめることは、自分の生き方・価値観も見つめること
けあけあ
けあけあ
最近気づいたというよりも、
最近言語化できるようになったこと。
私は、
むしろストレスフルな道を自ら求めていないか?
ストレスな環境にいる時、どこか同時に安心してないか?
逆にストレスのない時間や場所がある時、とても不安じゃないか?
楽しんでいる瞬間が怖くなる時がないか?
ストレスを感じている自分に、どこか充実感や自己肯定感が支えられていないか?
なんとなく感じていた最近の自分の傾向。
楽になる道、
楽しいこと、
嬉しいこと、
目を向ければ世の中には色んなことが広がっている。
でも私はマイナスマイナスへと
偏って目と耳が向かうように思う。
苦しいこと
悲しいこと
言葉にもできない悲惨なこと
目を向けられない知りたいとは思いたくないこと
に私の中のアンテナが働く気がする。
そして思わず身体が自然とそっちに向かってしまう。
でも、言いたいのは
だからといって今の自分の生き方は変えないし、変えられない。
この私の偏りは、
むしろ、修正するべきでもないと思っている。
今私が必要なのは、そうした悲観的な自分を否定しないことだと思う。
ストレスを感じる自分でも良いじゃない。
寿命が短くなったって良いじゃない。
自分で命を絶つかもって思ったって良いじゃない。
悲観的な自分を否定すれば、誰も自分を救えなくなる。
「だからうつになるんだよ」
と言われるかもしれない。
でもそれで良い。
うつと生きるってそういうことかも、と思った今日この頃。