NAZELAB(子どもたちの第三の居場所)
けあけあ
けあけあ
SNSではよく、ニュースを見た人が、そこで感じた怒りを表明して、そこで犯罪を犯したり、いけないことをした人を非難する投稿を目にする。
怒りは大事な感情だ。
それが原動力になることもある。
でも中には、怒りを出しているその人自身が
「他人事」のように、「その人が悪い」と個人的な責任を強調するスタンスの人も目にする。
ただよく思うのは、実は非難をしているその人自身が、
昔から無意識に不条理な状況を推し進め、見ないふりをし、気づかないふりをし、解決もしようとせず、他人事のように振る舞った結果が、
今その人が非難している「犯罪」「いけないこと」を生んだのではないかということだ。
そうしたことを考えると、
私個人としては「その人がひたすら悪い」とは、
どうしても思えなくなる。
実は小さなものでも、自分が無意識的にその状況を生み出してきたのではないかと思い、心が痛くなる。
私に対しては、考えすぎと言われることもあるかもしれないが、
結局考えなさすぎた結果が、そうした状況を生むのだと思う。
物事に対して、他人事の怒りを出すよりは、
自分事の中での痛みを引き受けることが、
今自分にできることかなと思っている。