私の日記
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【苦労は買ってでもするべき?】

けあけあ
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1.あるエピソード

私がうつ病になる前、ある支援者から言われた言葉が心に残っている。

「あなた、これまでの人生苦労してなさそうだね」

その支援者が何を思ってそう言ったのかはわからない。

それでも、私はその瞬間、「ああ、私はこれまで苦労していなかったんだ」と自分自身に思った。そして「もっと自分は苦労しないと」と思った。そこから私は自分自身をより追い込もうと思った。

さて、そこから数年を経て私はうつ病になった。

うつ病になってから数年が経ち、私なりに苦労してきたつもりだ。

そこから私が思うこと。

「こんな苦労、選べるならしない方がいい」

というのが私の率直な意見だ。

確かにうつ病になったからこそ、出会えた人たちも機会もたくさんあった。

一方で、失ったもの、人、機会、時間はたくさんあった。その中でも失いたくないものはたくさんあった。

先に述べた支援者はこんな私の姿をみて、

「ああ、あなた苦労しているわね。」と満足するのだろうか。

その時の支援者に言いたい。

「苦労している私の姿をみて満足ですか」

一方で、そして、その時の私に言いたい。

「これまで苦労してないなんてことは絶対にない」

2.支援者側の思考(自戒を込めて)-人間性の評価

 このエピソードから思ったのは、私を含めて「支援者」にはある思考態度をもってしまいかねないのかもしれない。それは、

「いかに被援助者が苦労しているのか」を優劣つけて

考える癖があるのではないかと思う。

もちろんそれは決して悪いことではない。

どれくらい対象者が深刻な状況にあるのかアセスメントするということもであるからである。

しかし、そのアセスメントがいつの間にか、

「人間性の評価」にむずびついていないかが問題となる。

先のエピソードでいえば、もしかしたらある支援者は、

「これまで私が接してきた人たちはみんな苦労をしているけど、

この人は大した苦労をしていないから、大した人ではないな」

と思ったのかもしれない。

ではなぜそのように思ってしまうか。

それは、支援者側のナルシストという面にあると思う。

自分がいかに優れた支援者であるかを示したり、また自分が感じるためには、いかに深刻な被援助者を「支援」しているか、という実績を作る必要がある。あの支援者は、「苦労している人を支援するのは苦労するな~」と暗に言いたかったのかもしれない。

そうした支援者のナルシストという面は自覚しなければ、

時に人を傷つけてしまうだろう。

支援者は人間性までアセスメントできる力があるわけではない。

あくまで周りの環境や課題をアセスメントするだけである。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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