近所のおじさんとして
けあけあ
フリーライター 飯島章太のサイト
土曜の21時から上司から電話が来る。来月のシフト作るから、来月の勤務について希望があるなら教えてほしいということ。
私は無理のない勤務として、少なくとも2月は土日祝を公休にということと、出勤を30分遅らせてほしいということを伝えた。すると、「わかりました。けどうちも忙しくて子どもの数も多いから、かなえられるかわからない。それに遅出勤務も、本当はみんな遅くできるならしたいものですよね。細かい点は上と話し合ってみてください」とのこと。
せめて2月だけでも、と思ったのだが、人員的にそうもいかないとのこと。
この仕事はなんだか板挟みな仕事なのだと思う。子どもの変化に気づくための繊細さを持ち続けようと思うと、その繊細さに職場がずけずけと土足で入り込んでくる。かといって、その繊細さを失えば、子どもが感じるであろう変化に気づくセンターがどんどん失われていく。
それでも私がもう選ばざるを得ないのは、自分の繊細さを捨てるということだ。そうでなければ仕事自体を続けることができない。同時に、それは自分の大事にしていたものを失うことでもある。でもそれもしょうがない、生きるためにはしょうがない。
そんな自分しか納得させられない言い訳を考えながら、そろそろ職場復帰になる、今日この頃。