裁判ブログ編
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自分の父親の話①〜「虐待」と言われることへの葛藤と心理的虐待〜

けあけあ
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0 はじめに〜原動力たる父親の存在を語れない

 これを書くことで誰に何のメリットがあるのかなと執筆を迷いましたが、あえて書いてみます。

 私が今いろいろ活動している原動力は父親との関係から来ています。私はこれまでその関係性を「不仲」や「劣悪な関係」とぼかして言うことがほとんどでした。また正直、その当時の記憶は薄れているのも事実です。そしてこれまであまり語ることはしてきませんでした。

 理由としては、やはり父親は生きていたので、どこかで語ろうとすれば、いつかばれる可能性があると危惧していたことも大きかったと思います。

1 父親の死

 ですが数年前に父親が亡くなりました。ほんとうに突然のことでした。未だにその事実を整理できていない自分もいるとは思います。

 一方で、葬儀を終えて気付いたこともありました。実家の中に安全感を持つことできたのです。父親がいること、帰ってくることにいちいち怖がらずに済むと思えた自分がいました。

 逆に、ふとまだ父親が生きているのではないかと瞬間的に怖くなるときもあります。特に父親が帰ってきた時の車の音です。私は当時それをきいた瞬間、自分の部屋に逃げ込むことにしていました。もちろん車の音なので、今でも同じような音がする車があるのでしょう。ですが、外でその音を聞いた瞬間、反射的に逃げたり、父親のことを思い出したり、まだ生きているのではないかと思ったりします。その度、亡くなった事実を、葬儀のことなどを思い出して、安心する一方で、複雑な気持ちになったりします。

2 「虐待」なのではないかというお話 

 一方で、ようやく父親と自分のことについて、少しずつ振り返る機会がありました。亡くなった父親のことを話す機会があるなかで、少しずつ当時の記憶を思い出すようになりました。

 父親が亡くなった時、当時救われた(ここはあえて強調しますが。きっと母親がいなかったら生きていたかも分かりません)母親から「当時はまだ『虐待』という言葉は今ほど浸透していなかったけれど、今からみれば『虐待』だったと私も思う。」と言われることがありました。  

 また裁判の関係で取材してくださった記者さんからは、「それは明らかな『虐待』だと思われるのですが」と言ってくださることもありました。

 子どもや福祉という業界の特性上、自分を振り返る機会が多く(いわゆる「自己覚知」)、父親のことを振り返る度に、そうしたことを言われていました。

 なるほど。もしかしたら全く意識していなかったけれど、私は今でいう「虐待」を受けていた可能性があるのかもしれないと思うようになりました。

3 「虐待」を受けたことを自覚する葛藤〜特に「心理的虐待」

 ですが今もまだ、自分は虐待を受けていたとは自覚できていないのも事実です。児童相談所の職員を経験して、おそらく他の子がそうされていたとしたら、私は「虐待」だと思うでしょう。でも自分のことになると、それが認められないのです。

 その理由としては

①これまでの私の生活がひっくり返されるような気持ちになる。

 特に「虐待」が大きく社会問題化されている現代において、自分がその渦中の人間だったということを認めるには、とても葛藤があります。確かに平穏で「普通」の暮らしとは言えなかった生活ではあると思います。ですが、私がそれを自分で認めてしまえば、本当に「普通」の暮らしではなかったのだということを受け入れなくてはいけないという気持ちになります。

 いまだになんと表現すべきか迷うところですが、日常が崩れるような感覚があります。自覚というのは、葛藤を伴うものでもあると思っています。

②「心理的虐待」のわかりづらさ

 確かに「心理的虐待」とされるものには、「大声を出す」「怒鳴る」を通じて子どもを恐怖にさせるというものは当然含まれてきます。

 ですが現在児童相談所で一時保護されるケースの中で、主に「心理的虐待」で保護される理由の多くは、面前DVがメインです。両親が大げんかし、そこに警察が駆けつけ、そこに子どもがいれば面前DVということで保護になる可能性があります。

 一方で、大声で怒鳴る・無視といった心理的虐待が主な理由で、一時保護されるケースは、稀だと思っています。心理的虐待は、例えば身体的虐待などとともに報告されることも多く、付随的に報告されるものも多いように思います。

 その根拠としては、厚労省が提示している(今はこども家庭庁か?)一時保護決定に向けてのアセスメントシートがわかりやすいかと思います。

 こうした親から子どもへ直接的な「心理的虐待」について、あまり取り上げられていない現状もあるため、私は自分で自分のことを認められないことも事実です。

4 おわりに

 さて、書いていく中で少し具合が悪くなりそうなので、ここで閉じますが、この記事で私が伝えたかったことは

①「虐待」など自分が当事者であることを認めることには葛藤を伴う場合があること

②かつ「虐待」を受けたかどうかを判断には、特に自分が自分で判断することは困難であること

③特に「心理的虐待」」における親から子どもに対する直接的なものは、アセスメントされにくい現状があること

かなと思います。また適宜書いていきます。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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