私の雑記
PR

【その後を生きる人と「周囲」】

けあけあ
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

その人が悪いわけではないのに、ある人や組織や地域や構造によって、傷つけられたり、障害を負ったり、トラウマを抱いたりしてきた人が、それらの傷・障害・トラウマの影響から、周囲に距離を取られるようになることがある。

本来理想をいえば、傷ついた人を支える周囲でありたいところだろうが、周囲は自分を守ったり、自分の事情があったり、なんらかの理由から、手を差し出せないこともある。

傷ついた本人は、「その後」を生きる。傷・障害・トラウマと共に生きていく。なんとかコントロールしようとしたり、向き合わざるを得ない時があったり、うまく操作できる瞬間を感じながら、付き合い続ける。

ただ、「周囲」と言いながらも、彼らが「傷ついた本人」であった場合もある。「傷ついた本人」が、どうにか生きる中で、適切な距離を取れる「周囲」となることができたのかもしれない。それは「傷ついた本人」がどうにか生きることができる術なのだろう。

「傷ついた本人」と「周囲」はそれほどくっきりと分けられるわけではない。場面を変えれば、「傷ついた本人」であり、見方を変えれば「周囲」でもある。

「傷ついた本人」から「周囲」が支えることが難しい理由には、こうした事情があるのだろう。「周囲」にとっては、それがなんとか生きるためのあり方なのだ。

やはり、「傷」「障害」「トラウマ」という現象は、その人や組織や地域に責任を集中させるのではなく、なぜその現象が起こったのか、背景や構造から捉える必要があるだろう。個々に責任を負わせたくなる気持ちこそ、現代の特徴でもあるのかもしれない。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
記事URLをコピーしました