静岡県下田市のおすすめ場所(2022年6月版)
けあけあ
けあけあ
ふと最近気づいたことがある。多分自分を自分で責める機会が減っている。
以前は病気の影響もあり、自分を追い詰められる限り追い詰め、責めていた。それがうつ病というものだろうが、元々性格的に追い込むタイプだったこともあり、より一層自責を強化させていたのだろうと思う。
病気がよくなった最近になっても、もちろん自分の意見や見解などをチェックする意味で自己批判はするのだけれど、自分で自分の人格を否定することは、しなくなったような気がする。
むしろ、なんとなく自分を労ったり、たまには頑張っていることを認めたりすることもある。「いや、よく頑張ったよ」と、自分を慰めることも増えた。
こうして自責から離れている背景には、決して自己肯定感が上がったとか、大人になったとか、そういうポジティブな理由があるわけではない。
つまり自責をする必要性がなくなったのだろうと思う。逆に自責すれば、おそらく自分を殺めることになると直感的に身体が感じているのだろうと思う。
珍しく自分を哀れむことが増えてきた。色んなトラブルや、アクシデント、不運、搾取など、なぜか連続している。きっと自分の中の、「いや、まだまだいけるだろう。耐えられるだろう」というラインを超えているのだろう。
今の自分は、自分を見下している。かわいそうにと思っている。憐んでいる。自分が自分で手をくだすまでもなく、放っておけば自滅するだろうと思っている。そんな感情なのだと思う。
そして、皮肉ながら、残念ながら、ジレンマながら、それが自分を生かす数少ない道なのだとも思う。