なぜ児童相談所職員になりたかったか〜ボランティア編〜
1 ボランティアから子ども福祉の業界へ
シリーズ「なぜ元職場の千葉県・児童相談所に裁判を起こしたのか」の「なぜ児童相談所で働こうと思ったのか」のボランティア編です。
前回は父親の存在編についてお伝えしました(記事は以下を参照)
今回は、ボランティア(震災ボランティア・こどもの電話相談ボランティア)編です。私がこどもの福祉の業界に関わり始めたのは、大学生時代のボランティアからでした。
ざっくりとした結論は、ボランティアの経験からこどものそうだんをうけることを仕事にしたいと思い、児童相談所で働きたいと考えたということになります。
2 大学入学と東日本大震災へのボランティア
前回の記事の最後にお伝えしたように、私は法律を学び、弁護士なるために、法律学を学ぶため大学へと進学しました。父親の存在をきっかけに、誰かが困っているときに力になりたいと考えていました。
一方で心に残っていることがありました。東日本大震災の被災地域のことでした。私は父親との出来事のあと、震災のニュースから距離をおいていました。色んなことが起こっていた時期でしたので、ニュースを見ることすらできないような時期でした。
大学へと進学した後もそれが心残りでした。もっとこの震災と向き合わないといけないのじゃないかという思いがありました。自分の目と足で、何が起こったのか考えないといけないのではないかと感じていました。
すると別大学の先輩から、ご縁があり東日本大震災の海岸地域でのボランティアを募集しているのできてみないかというお誘いがありました。そこで夏の間の2週間ほどボランティアをさせていただくことになりました。
「この高速道路から先が津波の被害の分かれ目だった」
「今は笑って話しているけれど、それにはどれだけ時間がかかったか」
ボランティアの中で、地域のさまざまな方からお話を伺う機会をいただきました。同時に自分の中で、「いったい私には何ができるのだろう」「何もできることなんてないのではないか」「これまで何もしなかったのに何をするというんだ」と情けない気持ちがずっと残っていました。
そんなある日印象的だった出来事がありました。
ボランティアの休憩中一人休んでいたところ、80代くらいの女性がこちらに歩いてやってきて、「ボランティアの人?」と話しかけてくれました。そうです、と返事をすると「そうなの。このブロックに跡があるでしょ。この高さまで津波が来たのよ」と女性から語ってくれました。「私はここに捕まっていたから助かったけれどね」と、淡々と語る様子が印象的でした。
私は何も言葉を返せずに、ただうなずきながら話を聞いていました。そんなとき、話が急に止まりました。その方が私の目をじっくり見ていました。すると、「命を大切にね」と言葉を送ってくださいました。
私にとってはその言葉は何よりも重いものでした。
子どもの頃父親のことで悩んでいた私は、何度も誰かに相談しよう、電話しようとしていました。学校で配られていた相談窓口のカードには「命は大事」といったメッセージもありました。
でもその女性からもらった言葉の重みは、どんなメッセージよりも心身に響いてきました。震災のショックや大変な経験のなかで、命からがら生きてきたその女性の「命を大切にね」という言葉は、当時10代の私に深くささりました。
私も生きていこうと思いましたし、同時に私にも地域で何かできることはないかと考えるようになりました。
そこで私は、近くのある地域の子どもの電話相談のボランティアに関わることになりました。つらい体験をしてきた子どもたちが、話すことですこしでも気が楽になるようなことをしたい、そして自分が関われる地域でできることを果たして、ボランティアさせていただいた地域からの恩送りできるのはないかと、考えました。
今思えばその女性の言葉から、父親との辛い経験を得てきた私だからこそ、被災地で出会った女性のように、伝えられる言葉が少しでもあるのではないか勇気づけられたことも大きかったのかなと思います。
3 子どもの電話相談ボランティアを経て児童相談所への就職へ
震災ボランティアの後に関わり始めた子どもの電話相談のボランティアは、7年以上関わることになりました。
電話相談で子どもたちはいろんなことを話してくれました。もちろん守秘義務があるので具体的には話せませんが、嬉しかったこと、夢中になっていること、苦しんでいること、悩んでること、泣きそうなことなど、本当に色んな話を聴かせてもらっていました。
基本的には電話相談は、何かアドバイスをするのではなく、あいづちを打ったり、自分の感情の揺れに注視しつつ、子どもたちの話をきくといったものでした。
私からすると不思議な体験だったのは、子どもたちが自分の話をするなかで、自然と頭や気持ちを整理し、「また明日頑張ってみる」力を自ら沸かしていく場面に、何度も何度も出会ったことでした。
ずっと悩みを話していた子が突然「あ、じゃあ明日はこうすればいいんだ!じゃあね!」と電話が切れることも何度もありました。私はポカンという感じで、なにか置いてかれていくような感覚でしたが、でもそんな子どもたちの話をきくことが、無性に好きだった記憶があります。
一方で課題もありました。子どもに関わる電話相談のボランティア自身が、燃え尽きたり、傷ついたり、やめていく現実も見てきました。1年10人ボランティアが増えたとしても、翌年も続けている人は1〜2人という状況でした。
ボランティアも人が足りません。ボランティア同士がケアし合ったり、支え合わなければ、子どもたちの相談を受け続けることが難しくなる現状もわかってきました。
そうした現状をより考えたいと思い、大学院へと進学し修士論文へまとめました。今思えば、子どもを大切にするためには、子どもに関わる人も大切にしなくてはならないという考え方は、ここの経験が大きかったように思います。
いつしか、子どもや親御さんの相談を聴くことができる場所で働きたいという夢を持つようになりました。そこで「児童」の「相談」をきく「所」である(と当時考えていた)児童相談所で働きたいと思うようになりました。
児童相談所で職員同士が支え合いながら、子どもたちをケアしていきたいと、強く思っていました。
4 終わりに
その後就職活動を経て、児童相談所へと無事に就職することになりました。就職活動の様子については、以下の記事に体験記まとめているので、興味ある方いれば、よかったらご覧ください。
ここまで長文読んでいただき、ありがとうございました。引き続き、暖かく見守っていただけると幸いです。
5 あとがき
子どもの電話相談の経験からは本当にいろんなことを学んだので、大事な経験でしたね。今回はざっくりとした内容になりましたが、いつか整理してみたいなという気がします。