常識が常識じゃなくなる時
つまりはケースバイケース、個別具体性、オーダーメイドの話。
たとえば精神的な治療の場合、
・早寝早起きすること
・太陽の日を浴びること
・散歩をすること
などが挙げられていることが多いと思う。
私もこれを実践してきたことがあるけれど、
果たしてどうだろうかと思うことがある。
要するに、これは「健常者」が「健常」でいるための秘訣を
集めたものであるのではないかと思うことがある。
つまり、
・日常生活をリズムよく過ごせていること
・早寝早起きできていること
・太陽の日からメラトニンを活用できていること
・毎日少しでも散歩できていること
は、それができるから「健常者」なのであるということだ。
逆に言えば、以上のことができないから
「障害」にぶつかる人は、「障害者」とされるのであって、
先ほどの常識的な治療をしろというのは、
そもそも難しい話なのではないかと思っている。
私はむしろ経験的には、
・日常生活のリズムを崩しても、自分のメンタルを保つために、長い睡眠を取ったり、夜行性になってもいい
→これは実は科学的にも根拠がある
・早寝早起きではなくて、自分に合った睡眠時間で、起床時間、入眠時間を決める方がいい
・太陽の光が辛い時もあるから、無理して当たらなくてもいい。
・多少の運動も、できる時でOK
というのが、自分の体調を維持するために重要なことだと思っている。
つまりは、多くの人に通用する「常識」という大枠ではなく、
個別具体的なケースバイケースの対応が求められるのが、
精神科領域の治療なのではないかと思っている。
逆にその「常識」が、プレッシャーになることは多々ある。
また他人からよくされるアドバイスもこの手のものが多い。
もちろん有益なものもあるけれど、
実際にその人に合うかどうかはわからない。
実践する中で、その人なりのリズムや治療を見つけていくほかない気もする。
そうしたある種「常識はずれ」とみなされていくなかでも、
伴奏して、治療について考えてくれる人が必要だろう。