私の日記
PR

「精神疾患」「精神障害」の使われ方ー偏見か理解促進か

けあけあ
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

私はいわゆる「精神障害」の当事者であるが、最近その言葉の使われ方が気になることがある。

例えばニュースで犯罪的な行為があったときに、

「この人精神疾患があった(んじゃないか)」

と言われることをよく耳にする。

違和感があるものの、さらに

ちょっと不快だなという使われ方・思われ方もある。

「精神疾患・精神障害があるから、犯罪・奇行などに走るのではないか」

的な話だ。

似たように見えるが、

・最初の例は、具体的な個人が、「障害」という抽象化した概念に当てはまるのではないか、という考え

・後者の例は、「精神障害者」という抽象的な存在が、全て具体的な犯罪に走るのではないか、という考え

の違いがある。

もはやその違和感について議論する必要もないと思う。

が、私は少なくとも「障害」という言葉については、

偏見ではなくて、その具体的な人がどのような困難に直面しているかを想像するに参考にする言葉であっても欲しいと思う。

先の二例は、どちらにせよ、

その背景や「なぜそうなったのか」を考えるきっかけとなればいいなと思う。

「障害」という言葉は、

差別や偏見などを示す概念ではなく、

その具体的な一人ひとりの状況を想像するきっかけの言葉であってほしい。

精神障害がそもそも引き起こす症状もあるが(希死念慮など)、

なぜ精神障害に至ったのかを考えてもらえる想像力を持ってもらえればと思う。

こうしたことに気づかず、

「精神障害者だから」と言われているのを目にすると、

やはりその人のような考え・風潮自体が「障害」だと痛感する。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
記事URLをコピーしました