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社会的な問題について考える時の「自分事」と「他人事」のバランス

けあけあ
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1 結論

必ずしもどんなことに対しても「自分事」にする必要はなく、むしろ「他人事」だからできることもたくさんある。重要なのは、自分なりのバランス。

2 「自分事」にするメリット

 いわゆる社会課題の議論の中で、問題をいかに多くの人に「自分事」にしてもらうか、という話題が出ることがある。

 確かに「自分事」になることで、問題に対してより一層向き合ったり、感覚として研ぎ澄ますことができることもあるだろう。

3 「自分事」のデメリット

 ただ一方で、あまりにあらゆることを「自分事」にすると、まずもって自分の心身が持たないだろう。社会問題とされるものは、個人ではどうしようもない課題にも関わらず、その社会の歪みのようなものが個人に押し寄せているから起きる問題だ。そうした社会の問題を、個人が自分の抱えきれないほど「自分事」としたときには、その社会の理不尽さを追体験することとなり、その個人が潰れてしまう可能性が高い。

4 私の体験から

 私は比較的、色んな問題を「自分事」として考えようとしてきたつもりだった。でも今どうかと言われると、そうした社会問題やそれに関するニュースについて、触れること自体、難しくなっている。身体が拒否反応を示す。

 今私なりにできる対処は、あくまで社会問題は「他人事」で考えることしかできない。その「他人事」の中でしか、そうした問題に関わることしかできない。

 それが果たして悪いことなのかと言われると、そうではないのではないかと思う。「自分事」が良いことで、「他人事」が悪いかという二分論ではない。

 やはりその人なりのバランスがあるのではないかと思う。今の私は社会的な問題に対しては、自分事1:他人事9の関わり方が適切な距離感だと思っている。もちろん、時には自然と自分事8:他人事2となるが、だいたいそうすると自分が燃え尽きる。今の私には意識的に問題を「他人事」にすることが重要だと思っている。

5 何が言いたいかというと、自分なりのバランスでいいということ

 社会的な問題の関わり方のバランスは、人それぞれの関わり方が良いと思っている。逆に「自分事」にしない人に関わらせないという排除は、どうしても関わる人たちの同質性につながってしまう。

 社会的な問題の関わり方は、その人の状況によってもかなり違う。そこに「自分事」を押しつけることは、その人を追い込む。その人を追い込むだけでは、社会問題の根本的な解決にはつながらない。

 社会問題は考えることすら、直面することすらつらいことが多い。直面することでショックをうける可能性が高い分、そこにはその人のタイミングや関わり方のバランスを保障する必要がある。

 社会問題をなんとかしたいという思いは大事だ。でも、「ミイラ取りがミイラになる」可能性は十分気を付けなければいけない。あくまで社会問題について考える、その人ができる範囲で、関わることが出来る範囲で、無理のないようにできることが、今重要な関わり方だと思う。

運営者について
飯島章太
飯島章太
フリーライター
元児童相談所職員での経験を活かして、子ども・若者のケアに関わる人たちに取材を続けています。著書に『図解ポケット ヤングケアラーがよくわかる本』 。
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